織田幸銅器

銅像 Bronze Statue

Bronze Statue Charm 銅像の魅力

  • 1990年建立
  • 富山県高岡市伏木地区

義経記 如意の渡 義経と弁慶像

高岡市伏木側の船着き場「如意の渡し」横の公園には、義経と弁慶の銅像が建っています。
室町時代の『義経記』に、源義経が奥州に落ちのびる際に、渡守の平権守(たいらのごんのかみ)に「判官殿だ」と怪しまれるが、 弁慶が嫌疑を晴らすために扇で義経を打ちすえるという機転で切り抜け、無事に乗船できたという一節があり、この銅像は、源頼朝と不仲になり、奥州を目指す義経一行に義経ではないかと疑いを掛けられた時、弁慶のとっさの機転で疑念を晴らした一場面を語っています。
「如意の渡し」と呼ばれた渡船場があり、地元民の足や観光用として利用されてきましたが、現在は廃業しています。

  • 2007年4月建立

愛知県名古屋市中川区

前田利家公初陣之像

「槍の又左」と言われるほどの槍の名手、利家の、初々しくも凛々しい姿

1551年(天文20年)に織田信長に小姓として仕えた利家が 翌1552年(天文21年)に尾張下四郡を支配する織田大和守家(清洲織田氏)の 清洲城主・織田信友の重臣(坂井大膳・甚助)と信長の間に起こった萱津の戦いに出陣する時を描いた像です。

加賀百万石の藩主前田氏の祖

尾張国海東郡荒子村(現名古屋市中川区荒子)の荒子城主前田利春の四男として生まれました

  • 2001年建立

青森県八戸市

南部師行公騎馬像

太平記・北畠顕家の片腕的存在

南北朝初期南朝の武将。南部政行の二男。 母の兄南部長継の養子となる。北畠顕家の陸奥入部に際し、同国糠部郡目代に任じられ、八戸郷根城に住し、 建武元年(1334)3月21日、鹿角郡地頭職を与えられて、北条氏余党の乱を鎮定し、津軽を巡視するなど建武新政下の陸奥国の治安に任じた。

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